インクルーシブ・ランゲージとは、多様性のある社会において、ある特定のグループを疎外しないように配慮した、中立的な表現のことです。
以前、当コラムにてこのインクルーシブ・ランゲージへの取り組みの必要性を提起しました。その記事を閲覧いただいた数は私たちの予想以上に多く、国内のダイバーシティ&インクルージョン領域において、このテーマがいかに注目されているかを知ることができました。
そこで今回は、このインクルーシブ・ランゲージをより良く理解するために、社会言語学や国民文化的な視点でアプローチしてみます。
社会言語学とインクルーシブ・ランゲージ
インクルーシブ・ランゲージはどのような位置づけの「言葉」であるかを知るために、言語学、その中でも社会との関連を研究する社会言語学について理解することから始めたいと思います。
専修大学の国際コミュニケーション学部 日本語学科のウェブサイトによると、社会言語学とは「社会を通してことばを見る」学問領域であり、社会の中でのことばの役割、ことばと社会との関係について分析する学問が社会言語学であると説明されています。
さらに、ことばは変化するものであり、その変化は社会的な状況が原因となっていることが少なくないこと、そして「ことばが社会を反映する」とも述べられています。(注1)
また社会言語学とは、「社会階層、教育水準ならびに教育の種類、年齢、性別、人種などの社会的要因との関連で言語を研究する学問分野」(カヴァナ, 2009)と定義する研究者もいます。
成城大学の水澤祐美子准教授によると、「社会言語学という学問は、身近なことばが研究対象になります。そのため、身の回りで日々起きている言語現象に対して、敏感に目を向け耳を傾けることが重要」(注2)とのことです。
また同コラムには社会言語学の事例として、性差や人種、宗教、身体的特徴を区別しない「中立的なことば(politically correct terms:PC表現)」について具体的に述べられています。(注2)これらは以前のコラムで紹介したインクルーシブ・ランゲージの内容との親和性が非常に高いものです。
このように社会言語学とは、我々の身近な生活や文化を反映した、そして時代や環境の変化に応じて変化していく「言葉」を、社会との関係という切り口から研究していく学問であると考えられます。
そしてその学問の研究テーマとして、インクルーシブ・ランゲージやPC表現がありますが、それらはグローバル化や多様性の包含など、社会の変化を反映して出現してきたものであると言えそうです。
さらに同コラムによると、「相手の立場に立ち、相手が不快な思いをしないことばがPC表現と言える」(注2)とあります。前述の「身の回りで日々起きている言語現象に対して、敏感に目を向け耳を傾けることが重要」(注2)と併せて考察すると、PC 表現やインクルーシブ・ランゲージは、当コラムで紹介した「マイクロアグレッション」との関連も密接であるということも改めて認識することができます。
私たちが組織の中でインクルーシブなコミュニケーションを行うにあたっては、このように①中立な表現であること、②相手が不快な思いをしない配慮があること、そして③そのようなことに敏感であることがポイントであると思われます。
国民文化とインクルーシブ・ランゲージ
言葉は、それを用いる社会の文化的背景が反映されたものであるとすれば、日本で生まれ育ったビジネス・パーソンが、グローバル化したビジネス環境においてよりインクルーシブなコミュニケーションを行うためには、日本の国民文化の特徴を意識したほうが良いのかもしれません。
INSEADビジネススクールのErin Meyer(エリン・メイヤー)は、著書『異文化理解力(原著名:The Culture Map)』の中で、国民文化の違いによる性質の違いについて言及しています。今回私たちは、国民文化の違いを測る指標のうち、「平等主義-階層主義」という軸に注目をしました。
Meyer (2014, 訳 p.159) によると、平等主義とは権力格差が低いこと、上司と部下の距離は近く、理想の上司とは平等な、人々の中のまとめ役であり、組織はフラットで、コミュニケーションはしばしば序列を超えて行われると述べられています。
反対に階層主義とは、権力格差が高いこと、上司と部下の距離は遠く、理想の上司とは最前線で導く強い旗振り役であり、肩書きが重要視され、組織は多層的で固定的、コミュニケーションは序列に沿って行われると述べられています。
そして、各国の平等主義-階層主義の分布をみると、日本はかなり階層主義的な傾向が強い文化圏に位置しているようです。
このように相対的に階層主義的な文化圏にあるとされる日本には、組織の中で使われる言葉にも階層主義的なニュアンスを含む表現があるのかもしれません。
それによって、例えば日本人上司の言葉が、平等主義的な文化圏出身の部下にとっては高圧的な印象を与え、違和感を持たれるケースもあると考えられます。
ダイバーシティ&インクルージョンの重要性が高まる中、私たちが日常的に使用している、人と組織に関する用語がインクルーシブなものであるかどうか、日本人の場合は特に階層主義的な文化に強く影響を受けているものがないかという視点で、今一度点検してみてはいかがでしょうか。
次回は、人と組織に関する用語の階層主義的な側面に着目し、そのニュアンスをどのようにインクルーシブな表現に変換していくかを考察し、具体例やヒントについて紹介します。
謝辞
本記事の執筆前、社会言語学についてのお話をお聞かせくださいました、成城大学文芸学部 水澤祐美子准教授に御礼申し上げます。
引用文献
カヴァナ・バリー (2009).「社会言語学:その仕組み、展望と社会の中での言葉遣いについて」『青森保健大雑誌』10 (2), 225-230.
Meyer, E. (2014). The Culture Map: Breaking Through the Invisible Boundaries of Global Business. NY: PublicAffairs (田岡恵監訳『異文化理解力:相手と自分の 真意がわかるビジネスパーソン必須の教養』英治出版, 2015年).
参考リンク
注1:専修大学国際コミュニケーション学部日本語学科 社会言語学 (参照2022年8月31日)
注2:成城大学 成城彩論「ことばの多様性を考える:社会言語学の視点から」(参照2022年8月31日)