前回は、つながらない権利がなぜ必要とされているのかについて紹介しました。つながらない権利は、勤務時間外の連絡に対応しないことを選択する権利であり、仕事とプライベートの区分を明確にしたい人が、ウェルビーイングを達成するためのひとつの手段として、広がってきている考え方です。
今回は、国や企業による取り組みを紹介していきます。複数の事例から、「つながらない権利」を実現するために組織はどのような環境が必要となるのかを考えてみましょう。
全2回のシリーズの今回は第2回、「「つながらない権利」の事例と、実践に必要な価値観とは?」です。
(第1回:ウェルビーイングのための「つながらない権利」とは?、はこちら)
国や地方自治体での取り組み
はじめに、様々な国や地域で行われている公の法規制やガイドラインの動き、あるいは司法での判例について紹介します。
直近のニュースとしては、ポルトガル議会が2021年11月15日に、つながらない権利を保護するための法律を成立させました(注1)。
しかし、そもそものきっかけとなったものは2017年1月にフランスで施行された労働法の改正です。ここでは世界で初めて、国レベルでのつながらない権利を法制化しました。
細川 (2019, p.46) によると、フランス労働法では、雇用主はつながらない権利の行使やデジタルツールの規制に関する方法を、労働者との間で毎年話し合わなければならないとのことです。また、もしこれを行わない場合には、代わりに雇用主がつながらない権利の行使の方法を定め、幹部職員を含むすべての従業員に対してデジタルツールの合理的な使用についての教育や、関心を喚起する措置を行うことを規定するよう義務付けています。
(筆者注:引用元の文言を、平易な文章に編集しています。)
山本・内田・オルシニ (2020, pp.123-124) によれば、このフランスでの実施をさきがけに、現在イタリアではつながらない権利の法制化がなされ、カナダ、フィリピン、米ニューヨーク州など複数の国や地域では法制化を進めようとしているとのことです。
日本では「つながらない権利」という言葉自体の使用はないものの、ガイドラインや判例の中に同様の概念を見出すことができます。
厚生労働省の「テレワークの適切な導入および実施の推進のためのガイドライン」(注2)では、テレワークを実施する際には「業務に関する指示や報告が時間帯にかかわらず行われやすくなり、労働者の仕事と生活の時間の区別が曖昧となり、労働者の生活時間帯の確保に支障が生ずる」ことに留意すべきとしています。
そのうえで、「メール送付の抑制」や「システムへのアクセス制限」など、つながらない権利の概念を具体化した対策例が挙げられています。
また判例の中には、業務時間外の頻繁な連絡をパワーハラスメントに該当するとした事例として、令和2年(2020年)6月10日の東京地方裁判所での判決があります。(注3)
この事例の一部である、業務時間外の連絡に関する点について見ると、上司が「部下に時間外に活動報告を繰り返し求めていたこと(筆者注:午後11時頃になってから電話等による連絡を頻繁に行ったこと)」がその「態様や頻度に照らして」、「精神的・身体的苦痛を与える、又は職場環境を悪化させる言動」とされ、「パワーハラスメントに該当」すると判示されました。
「業務時間外での頻繁な連絡」という少し行き過ぎた状況下ではありますが、このような考え方は、つながらない権利を一部認めているように思われます。
以上の2点から、海外から入ってきた「つながらない権利」のコンセプト自体は、日本でもすでに浸透し始めていると言えそうです。
しかし、このような行政による一律の規制には、デメリットや課題もあるでしょう。例えば、各社の企業文化の違いを反映できないことや、グローバル化が進んだためタイムゾーンが異なる地域とのビジネスを行うことが多い状況には合わない、などの点です。
また、法律上の権利として認めることで裁判が可能になるというメリットもありますが、どこからが法律違反になるかの条件を定めることが難しい、という課題が生じることも考えられます。
より現実に即した、企業での実践例
一方で、企業ごとに実施されている施策はより柔軟で、自社の実態に合った現実的な方法を模索して導入している様子を見ることができます。
株式会社NTTデータ経営研究所の「先⾏事例―働き⽅改⾰とつながらない権利について―」(注4)では、以下の3例が紹介されています。
まず「物理的な制限」をしている例として、ドイツのフォルクスワーゲン社が挙げられています。
フォルクスワーゲンでは従業員からの意見を受けて、2013年に「夕方6時15分から翌朝7時まで、従業員の仕事用の携帯電話にメールが転送されないシステムを導入」しているとのことです。
次に、「意識的な制限」をかけている企業もあります。
ジョンソン・エンド・ジョンソン社では、2016年に「勤務⽇の午後10時以降と休⽇に社内メールを⾃粛することを全社的に呼びかけている」そうです。
同社HPの「『我が信条(Our Credo)』 にまつわるエピソード」の中には、「社員一人ひとりが個人として尊重され、受け入れられる職場環境を提供しなければならない。社員の多様性と尊厳が尊重され、その価値が認められなければならない」とあります。(注5)
つながらない権利を必要としている人を認める全社的な呼びかけは同社の信条に基づくものであり、ダイバーシティ&インクルージョンの考え方の一つの実践とも言えそうです。
また、ドイツのBMW社では従業員に「上司との相談のうえ、職場以外の場所や勤務時間外で業務をこなすこと」を認めたそうです。同社は、「仕事と私⽣活の間に境界線が必要だと考えているが、 働き⽅における柔軟性の利点を損なうような厳格な規則はいらない」と考えているとのことです。
このような企業においてつながらない権利を確保したい従業員は、個人が意識的にオフの時間帯にコミュニケーション用のツールを開かないようにしたり、メールソフトのシステムを使って時間外である旨の自動返信を行い意思表示をするという対応を行う必要があると考えられます。
つながらない権利の実践に必要な価値観とは?
上記の例のように、企業がそれぞれで実施しているつながらない権利の施策の範囲や程度は、自らの組織が活動しやすいように設計を行っているようです。
しかし、どの方法を選択するにせよその際には組織内の心理的安全性の確保が必要ではないでしょうか。
Edmondson (1999, p350) によると、心理的安全性とは「そのチームでは対人関係のリスクをとっても安全だというチームメンバーが持つ共通の信念」とされています。
これは、個人がどのような考えを持っているか、自ら発信したり、互いに関心を持ったりできる環境と解釈できます。
チーム内で自分自身の価値観をシェアしやすいという心理的安全性があると、「つながらない」という選択をほかのメンバーに開示しやすくなると考えられます。
Rakuten Asiaでは、自分の作業に集中するための時間を設定したり、チーム内で会議を行わない日(no meeting day)を設定し、それらを共有のカレンダーに記載することで、自分だけでなくほかの人にもわかるようにする取り組みがあるようです。(注6)
このような行動によって、今が何のための時間かという意識を持てるようになり、個人の「つながる・つながらない」の選択がチームに発信されやすくなると考えられます。
つながらない権利の実現方法、その答えは一つではありません。ただし、その根底では前回の第1回で紹介した、「時間やその余白について自分とは違う概念を持っている人がいるかもしれない」という一つの気づきがきっかけとなると考えられます。
自分の時間のデザインの仕方は個人によって異なります。まずはこの点におけるメンバー間の違いを知ることで、どのような形でチーム内のつながらない権利を実現したいかがイメージしやすくなるのではないでしょうか。
当研究所から提供しているオープンソースの一つ「Raku Chat」(注7)では、組織の中のそれぞれの個人が持つ、仕事やプライベートの時間の使い方や、時間と時間の間に欲しい余白を知るための質問が用意されており、手軽に利用できます。
まずは「Raku Chat」などを用い、組織の中のほかのメンバーと自分にとっての「時間」に対する価値観について発信し共有し合う機会を作り、そこからあなたのチームでの「つながらない権利」について話し始めてみてはいかがでしょうか。
引用文献
細川良(2019).「ICT が「労働時間」に突き付ける課題 ─「つながらない権利」は解決の処方箋となるか ?」『日本労働研究雑誌』709, 41-51.
山本靖・内田亨・オルシニ フィリップ (2020).「これからの働き方改革と健康経営における労働問題 -「つながらない権利」を中心に-」『新潟国際情報大学経営情報学部紀要』(3), 117-128.
注1:日本経済新聞「勤務時間外の電話、罰金最大126万円 ポルトガルが新法」(参照2022年1月20日)
注2:厚生労働省「テレワークの適切な導入及び実施の推進のためのガイドライン」(参照2022年1月20日)
注3:経団連労働法制本部「最近の主要労働判例・命令(2021年2月号)」
注4:NTTデータ経営研究所「先⾏事例―働き⽅改⾰とつながらない権利について―」(参照2022年1月20日)
注5:ジョンソン・エンド・ジョンソン「『我が信条(Our Credo)』 にまつわるエピソード」(参照2022年1月20日)
注6:Rakuten Asia Pte Ltd (Linked in)「Tips to be more productive by Tatsuo Hidaka」(参照2022年1月20日)
注7:楽天People&Culture Lab「Raku Chat (Web-based communication tool)」